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静かに生きるものは、よりよく食べる。

 まずは何より、装丁がすばらしいですね。
瀬尾まいこ『卵の緒』は文庫本は中古だとAmazonで一円とかで買えますが、単行本のデザインのほうが個人的にはかなり好きです。

 さて、瀬尾まいこさんのデビュー作であるこの本をはじめとして、彼女の書くお話には"食"のシーンが多数登場します。
食べ物を食べているシーン、食事シーンが多く、尚且つ印象的なのです。
端的に言えば、物語の登場人物は、実に美味そうなものを、美味そうに食べる。
もちろん物語の大筋には起承転結があり、事件、ないし展開は起こるものの、それよりも食べ物のシーンや、毎日を淡々と、静かに過ごす様子がすがすがしく描かれています。

 「静か」に生きる、ということは、周りから常に押し寄せるノイズから、気持ちを解いておくこと。
すなわち、目の前のことに一生懸命になればいい。
瀬尾さんの本の中では、それがご飯、というわけです。
この本に収録されているお話「卵の緒」、「7's blood」、どちらも両親、兄弟、家族の"血"が問題になっており、ストーリー設定だけ見ればちょっと軽めの昼ドラのそれと大差ないような感じすらありますが、このゆるやかさ、優しさはどうでしょうか。
日々何かに気を取られていては取りこぼしてしまう、「食べることは、生きること」という当たり前のことを、自然に、かつ真剣に実践するだけで、なんだか「静か」でいられるような気がします。






瀬尾まいこ『卵の緒』
マガジンハウス 2002年
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静かな「こころ」

 八木重吉は、1898年、今の町田市にあたる場所に生まれ、29歳にして結核で亡くなった詩人です。
短い詩、ひらがなの多い詩を多く残しており、キリスト者であったこと、家族がいる中で病床に臥せったことが作風に影響を与えている、などといわれています。


 やすらかな
 死がまっている
 いらいらとするな
 いらいらとしても
 こころのそこはやすらかにあれ
 


 しばらく
 ちんもくのせかいへゆけ
 ちんもくはぬぐうてくれる



 くものある日
 くもは かなしい

 くものない日
 そらは さびしい



 三篇引用しましたが、どれも五行以下なのにも関わらず、重吉ならではの世界観があります。
おそらく彼は薄味に至上の旨味を感じ、一瞬と永遠を区別せず、透明に極彩色を見たのだろう、と思います。
私は、仏教の考え方で言う「悟り」に近いものを彼の詩から感じます。
しかしその反面、宗教色が飛び切り強いわけでもなく、人懐っこさがあります。
彼の詩はまっすぐに、私たちのこころの真ん中に飛び込んでくる。
ことば、というものの美しさを教えてくれます。

 八木重吉の詩がもつ、せつなさ、はかなさは、私たちを癒すとともに私たちのこころに揺さぶりをかけてくるようでもあります。
病床に臥せり、子供と遊んだり一緒に過ごしたり出来ないこと、自らの死と向き合わなければならないこと、そうした歯がゆさ、どうしようもない、やるせなさがありながらも、「静か」なことば達。
彼の繊細なこころを感じることが出来る、マスターピースです。






『八木重吉詩集』
佐古純一郎 編
彌生書房 1968年
函付

静けさと怒り

 「怒って」いることと、静かであることは相反しないのではないか?

 岡本太郎の『美しく怒れ』は『芸術新潮』や『太陽』等に寄せた稿を再編したもので、87年~88年の著作を中心に、古いものは1967年、新しいものだと1991年に書いた稿が収録されれいるのですが、考え方は一本筋が通り、この本にも統一感があります。
この本のテーマは"日本人"とのことで、始まって数行で「すくみ合い、妥協し、堕落している一般的なずるさと倦怠が腹立たしい」と、現代の日本人を批判し、怒っています。
「芸術は爆発だ!」などの発言からも、激しく、情熱的であるというパブリックイメージがあるであろう岡本太郎。
ですが、実は、岡本太郎の「怒り」は、心を煮えたぎらせるようなものではなかったのではないか?ということを感じます。
太郎の「怒り」とは物事の本質を見極め、咀嚼し、感じ取ることによって成せる、純粋な子供のような、豊かで透明な怒りです。
「おどろき」といったほうがニュアンス的に近いかもしれません。
「空が青い!」とか、「何故大人たちは全力で遊ぼうとしないんだ!」とか、そういった物事の本質にぶつかっていくような「怒り」。
「○○で儲かった、損した」、「○○のせいで上手くいかなかった」など、そういった類のケチクサイ怒りではなく己を貫き、正直に表現していく、純な「怒り」。
心がひとつの海のようなものだったとして、そうした質の高い「怒り」は、果たして波風を立てるものでしょうか。

 岡本太郎ほど真っ直ぐに、心をクリアーに、凪いだ状態に保ち生きることは、至難の業ではありません。
しかし、「凪いでいる」状態を保ちつつ「怒る」こと、そうした「怒り」があると思うだけで、不必要に心を荒れさせることは少なくなるかも知れません。

 ちょっと自己啓発的な内容でないこともないですが、それにしては余りにも示唆に富んでいる一冊です。






岡本太郎『美しく怒れ』
角川書店 2011年
新書

ちなみに。

CREPUSCULE BOOKSTACKS / 書架クレプスキュール の、名前の由来(のひとつ)はこれです。

【お詫び】不忍ブックストリートWeek企画チラシ掲載の電話番号が間違っております。

タイトルの通りでございます。

チラシが刷り上って、南陀楼さんにご指摘いただいて発覚しました。
私が原稿提出した際に誤っていたようです。

正しい番号は[090-9357-7066]でございます。

誤って掲載された番号は「現在使われていない」番号とのことで、その点だけでも不幸中の幸いでした。

ご不便をおかけいたしますことをお詫び申し上げます。
南陀楼さんはじめ、不忍ブックストリート実行委員の皆様にも、ご迷惑おかけしまして、ごめんなさい。


ご連絡の際はおかけ間違いのないよう、よろしくお願いいたします。


SHINOBAZU Blind Books / CREPUSCULE BOOKSTACKS

オーダーについて

さて、ここまで読んでいただいてありがとうございます。

もしご興味がおありなら、私と一緒に遊んでいただけないでしょうか。


オーダー、といっても、そんなに大げさなものではありません。
「何の本」が、「どれくらい」欲しいか、お伝えください。
それだけです。

「何の本」というのは、基本的に何でも受け付けます。
「心が洗われるような本」でもいいし、「寝る前に読む本」でも大丈夫。
もっと具体的に「禅の本」とか「料理の本」なども可です。
ただし「STAP細胞に関する本」など、具体的すぎて範囲が狭すぎる、話題として新しすぎるものに関しては承れない可能性がございます。
また、「ダレダレの書いた、ナニナニという本が、ドコドコで売っていたから、代わりに買ってきてほしい。」というご注文(つまり特定の著者、ないし特定の著作のご注文)も一応受け付けますが、古本屋に置いてないものはお送り出来ません。ご了承ください。

「どれくらい」は、冊数でも金額でもご自由にお決めください。
ただし、冊数は2冊以上とさせていただきます。
10冊だと多いな、という感じです。それ以下の冊数にしていただけると助かります。
金額的には2冊200円以内、というご注文ですと消費税の上がったばかりの昨今、100円コーナーからすら選べない可能性がございます。
また、100,000円分!など、ご注文いただけるのは有難いのですが、私の経済事情的な観点から、仕入れが困難でございます。
大きな金額をご注文していただけるようでしたら、先払いにしていただければ対応も可能になる場合がございます。
ただ、上記の点を踏まえ、それっぽくオーダーしていただけると有難いなと思っております。
だいたい3~5冊を、2,000~5,000円くらい、のオーダーが多いのかな、と考えています。

オーダーしていただきましたら、私がそれをもとに、不忍ブックストリートを歩き回って、選びます。
不忍ブックストリート終了後(本が揃えばそれより早く)、「何冊」で「○○円分」買って参りました、と、メールなり何なりにて報告致します。
そして送料含めたお金をお振込み(手渡しでも可)いただきます。
振込み先等は本が揃ったタイミングで併せてお伝えします。
お振込みが確認出来次第、発送させていただきます。
お振込み確認は毎日マメに行いますが、お振込み完了の旨、ご連絡いただければより迅速に発送が可能です。
発送に際しまして、ご住所をお教えいただく必要がございますので、あらかじめメール等でお伝えいただければ幸いでございます。

それ以外にも入金確認、発送などの際にも再度ご連絡差し上げますので、何かあれば都度、おっしゃっていただければご対応いたします。


ここまで、まとめます。
①dubyouquietly.ksana@gmail.comにメールか090-9357-7066に電話
 「何の本」が、「どれくらい」欲しいか、お伝えください。

②本を用意いたします。完了しましたら、その報告とご送金のご案内をメール等でお送りいたします。

③お振込み確認取れ次第、発送いたします。

④①~③まで、都度ご連絡差し上げますので、何かあればお気軽にお申し付けください。


と、いったところでしょうか。

もしかしたら取りこぼしがあるかもしれません。
何か変更点あればお知らせいたしますが、大まかな流れは上記の通りです。


沢山のオーダー、お待ちしております!


そもそも何でこの企画、やろうと思ったんだっけ?

そもそも何で本好きになったんだっけ。


「本の虫」と呼ばれる人がいます。
それは本当に古い本を食い荒らす紙魚という虫が語源だそうですが、「本の虫」たちからすれば、大好きな本を日夜食し、かつそこを寝床にしているなど、お菓子の家に住む食いしん坊、といったところでしょうか。
寝食そっちのけの本、いやむしろ寝食=本。
本がのめり込むほど好きで好きで常に読んでいる、「本の虫」。

実は私はその「本の虫」といわれる人々とは違い、本自体にはそこまでのめり込んでおりません。
私は"本屋"という空間が好きなのだろうと思います。
本屋は言わば『まだ知らない、見たことの無い、知識・経験・思想を可視化したもの』であって、気分がいい時はもちろん、とりわけ死にたくなるほど落ち込んだ時に本屋に入れば「ああ知らない物事がこんなにあるならもう少し生きてみれば面白いこともあるかもしれない」と思ったものです。

本単体よりも、"本がまとまって手に取れる場所に置いてある環境"にフェティッシュを感じるということです。
そうなると、もう言ってしまえば最終的に、本は読まれても、読まれなくても、どちらでもいいわけです。
もちろん本は好きだし、読書も好きです。
が、それ以上に本と本の間にあるものも含めた、"本の集合体"が好きなんですね。


私はこの度屋号を 『CREPUSCULE BOOKSTACKS』 としました。
BOOKSTACKSとは書架、本棚、本の集合体を指す言葉です。

今回の"SHINOBAZU blind books"でも、本のオーダーは二冊を最低ラインとします。
全然読みたくない本が一冊だけ届く、という誰も幸せにならない状況を避ける方便でもあるような気もしますが、さっきも言いました。
最終的に、「読まなくてもいい」ということ。
そこにおいておけば一年後、五年後、十年後の自分が手に取るかもしれない。
家に来た友達が、自分の子供が、親が、手に取るかもしれない。
あるいは一生無視されるかもしれない。
今読みたい、と思っても読んでしまったら、ひとつものを知り、楽しみが減ってしまう。
そういった、「読めるけど、読まなくてもいい」、「読みたいけど、あえて読まない」という本末転倒というか、屁理屈というかが、私にとっては結構大事なことなのです。

以上がSHINOBAZU blind booksでやりたいこと、一つ目です。
本がある、並んでいる、置いてある、そこから膨らんでいくものをプレゼンしていくことです。


あとは私自身の問題ですが、文章が書けるようになりたかった。上手くなりたかった。
読書というインプットに終始しアウトプットを悉く放棄し続けた結果、小学生の作文コンクールにすら引っかからない文章しか書けない状態で、酒が飲め髭が生えてくる齢になってしまいました。

また自分で選書して、コメントを書く、それを頼んでくる人が仮にいたとします。
私自身は転売して利益を出す気持ちはありませんが、いくばくかのお金を払ってくれるわけです。
不忍ブックストリートというブリリアントなイベントの一部として出る、ということは、大失態を犯せばこのイベントの今後にも関わるかもしれません。
ここまで自分のおしりに火をつければ、自分のセンスを可能な限り高めるしかありません。

文章力と審美眼。


もうひとつ。
私は今とあるお店で働いていますが、店頭でお客様にものを売るときより、通販で商品を発送する時のほうが大きいミスをしやすいことが分かってきました。
もちろん、毎日、毎回ミスしているわけではありません、が、半年とか一年に一回レベルの大きいミスは通販に関連するミスであることが多いように感じます。
それは、顔の見えないお客様とやりとりをする、名前と住所しか知らない人の気持ちを親身になって考え対応する、といったことが苦手であることが原因かな、という気がしています。
今回はそのコンプレックスをも払拭するいい機会かなと思っています。
名前しか知らなくても、「何故お客様はこういう本が欲しいのだろう」ということを自分なりに考え、答えを出し、自分で発送処理する。
自分が考えたものを自分の手で送り出すことで、実務的なスキルも磨こうと考えています。


他にも話したいことは沢山ありますが、今回はこのあたりで切ります。

いろいろと書きなぐりましたが、しかし、これは企画というより本を使った遊びです。
お手柔らかにお付き合いくださいませ。