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「祈りと救い」の本





 『"祈り"は何も特別なことではなく、日常が即ち"祈り"の一形態である。それは、何も考えず、働く機械となって粛々と日常を"こなす"態度のことではなく、日常というものに対して明確な意思を持って、いい方向へ、いい方向へと持っていこうとする気持ちを抱き、日常を"生きる"態度にこそ宿る。』
 
この、ひとつのアイディア、考え方のもと、本を数冊選んでみました。

 日本には古来から、「ハレ・ケ・ケガレ」という考え方がありました。「ケガレ」、即ち死や病気、と「ハレ」、即ち祝祭的儀礼が裏表で存在する一方、その間には「ケ」という、「ハレ」や「ケガレ」である時間よりも圧倒的に長い時間のつつましやかな日常があるのです。そこでは日常が"祈り"の大きな大きな延長であり、日常に"祈り"があるからこそ、ふとした瞬間に訪れる"救い"があるのだ、というようでもあるように思えます。
 不定期でやってくる「ケガレ」は、定期的にやってくる「ハレ」により削がれ、また長い長い「ケ」に戻ります。日常の中にある"救い"のほかにも、きちんと"救い"が定期的に訪れる機能的な考えでもある訳です。今の世の中においては、「ハレ」と「ケ」の区別が薄れ(特に東京などという喧騒の街においては!)、定期的な"救い"が機能しづらくなっていると思いますが、日常の中にも"救い"があって、それを"救い"として認識するには、日常に、「ケ」に、どれだけ"祈り"があるかによるところなのではないでしょうか。

 "祈り"は常に自分から発せられるわけですが、"救い"は常に彼方からやってきます。"祈り"はいつでも自分の側にあるのです。一方"救い"は"祈り"に沿って、あるいは全く意に沿わないかたちで、突然やってくる。それを"救い"として認識できるかが「ケ」、即ち日常を過ごす態度に関わってくるのではないかと思うのです。

 "祈り"をもっと自分の傍に、美しくはかない"救い"のために。この本たちが清らかな"祈り"の一助となれば幸いです。

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