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「日常を忘れさせてくれる」本









 「非日常」は日常のすぐ裏側にある。いつもと違う、見たことのない場所に行けば、それはもう非日常だし、会ったことのない人に会う、場所は一緒でも時間が違う、などなど、「非日常」は「日常」とコインの裏表であり、「非日常」は「日常」がなければ存在しないものです。
 
 何故、私が本を読む、ないし本屋に行くのが好きなのかを突き詰めて考えると、「日常を忘れていたいから」というところに尽きるような気がしています。日常がそんなに嫌か?と聞かれると、嫌と言えば嫌かも知れないけど、毎日ごはんも食べれているし、つらい事もあるけどもちろんいい事もあるし、そこまでひどいものでもありません。
 では何故本に「非日常」を求めるのでしょうか。それはきっと現実の世界と、本の中の世界と、二つも(もしくはそれ以上、際限なく!)自分の世界が持てるなんて贅沢なことは他にないからでしょう。本を読む、それによって忘れたいときに日常を忘れ、別の世界に行き来できるなんて、考えてみれば最高に贅沢なことではないですか。

本なんて、実際無くても生きていけるのかも知れません。ですが、"本"というものが出来てから今まで、時には戦いながらも人々は本を手放さなかった。
 「本は今までの人類の血と汗と努力が生んだ結晶なのだ!」などど大それたことを言うつもりはありません。日常をふと忘れて、一瞬で別の世界を生きることができるなんて、そんな面白いものを手放す理由がないなと思うのです。そもそも本は「日常を忘れるため」に発明されたものではないというのが本来は正しいのでしょうが、「日常」を一時忘れて「非日常」の世界へ行ってくる、そして一瞬でまた戻ってこれる、なんて贅沢で楽しいものは他にないと思います。

 しかし、一方で思うのは、もし日常がもっとメルヘンチックな世界だったら、本は今の通りに存在していたのだろうか?ということです。毎日違う場所へ違う場所へと移動する旅人のような日常だったら?毎日日替わりで奇人、変人、凡人、いろんな違う人に出会ってばかりの日常だったら?突然過去、もしくは未来にタイムスリップしてしまったら?毎日がそれほどめまぐるしかったら本なんて読んでいる暇はないかも知れません。やはり、忘れるべき「日常」を用意しておくこともまた、本読みにとっては重要なことなのかも知れません。

 今回のセレクションは基本的には普段出会わないだろういろんな人、場所、モノ、時間が登場するものを中心に選ばせていただきましたが、柳宗理『エッセイ』だけはあえて日常丸出しの一冊になっています。それは今書いた、「世界を二つに保つため」の一冊としてもご提案したかった本ですが、デザイン、しかも身近にあるものの形、風合いの良さを再発見し、驚き、面白がる、つまり「日常」に「非日常」を見出すこと、"ものの見方"だけで日常を「非日常」にしてしまうということもまた本の大きな魅力なのではないか、という考えによるものです。

 この本たちが素敵な「非日常」と「日常」に色を添えるものになることを心から願ってやみません。
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